コウノ巣山 (120m)

2012年05月20日


日本の海岸、湖に戻る

和歌山県和歌山市深山
ウィキペディアから
 明治時代に旧日本軍により、外国艦隊の大阪湾への進入を防ぐ目的で、沖ノ島内5箇所と虎島に砲台や防備衛所が造られた。 第二次世界大戦までは要塞施設として一般人の立入は禁止され、地形図にも記載されなかった(修験道の山伏修行にて虎島に入る人達は特別に入島を許されていたと言われている)。
島内の遊歩道に道幅の広い部分が多いのは、砲台などへ通じる軍用道路として開削されたためである。
  後の第二次世界大戦は航空戦主体となり、対艦用に造られた砲台は使用されることのないまま終戦を迎えた。 戦後は友ヶ島全体が瀬戸内海国立公園に指定された為、終戦時に爆破処分された第2砲台以外は軍事施設跡が比較的良好な状態で残っている。
Road Map :和歌山市加太港から友ヶ島汽船にて約20分の航行で友ヶ島(沖ノ島)に上陸出来る。
Route Map:沖ノ島野奈浦から第1砲台跡を先に周り、山頂から虎島に向かう。
標高差:120m
日本の海岸、湖』   旧日本軍の施設跡があり、歴史散策だけでも楽しめた。
島内散策時間:4時間(9時30分友ヶ島上陸、13時30分離島)
友ヶ島の最高峰
昼飯は海鮮料理
  ”沖ノ島”で昼飯を食べる予定であったが碌な食べ物しかなかったので、加太で食べることにした。
海鮮料理を食べたくて料亭に入ると個室に通された。 高く付きそう!。 海鮮丼と共にサザエを頼む。小さなサザエ3ヶで千円也、サザエは美味しいが海で採ってその場で焼いて食べるサザエの味からは
程遠かった。 毎週、日本海に通っていたあの頃が懐かしい。
友ヶ島までの連絡船は往復で2千円、加太港の始発は9時00分、
多くの観光客が出航を待っていた。
べた凪で揺れることなく約20分で友ヶ島(沖ノ島)の野奈浦桟橋に着く。連絡船は地の島と虎島の間を通ったが、虎島が見えるのと反対がに座っ
ていたので行場をうまく見ることが出来なかった。 帰りは虎島が見える
側に座る予定。
野奈浦には大きな広場があり、公園の様になっていた。 トイレと売店が
あったが、売店には碌でも無い物しか売っていなかった。
コウノ巣山へ直登するコースがあるが、島内散策をしたいので、第1砲台跡を目指して海岸沿いの道を歩く。
海岸沿いに歩いて行くと大きな宿泊施設があり”海の家”と書かれていた。
ここには宿泊出来る様であるが詳しくは見ていない。
”海の家”の前には3台のPWCが並べられており、ヤマハのランナーバウトとスタンドアップ、もう一台はカワサキのTS650だった。
”蛇ヶ池”を通り過ぎて ”第2砲台跡”に着く。 崩壊が激しいとかで
立入り禁止となっており、鉄条網が張られていた。 観光客は鉄条網を
越えて中に入っていたが、そこまでして見たくないので通り過ぎる。
海岸沿いから山道に入って行くと ”タイワンリス”が2匹遊んでいた。
この島にはタイワンリスを始め、シカ、イノシシ、クジャクが居るら
しいが、タイワンリス以外には出合っていない。
山道途中から ”第2砲台跡地”を見る。
登って行くと淡路島を始め、沼島、成ヶ島が見えた。 共に山登りの対象とした島だ。
山道は途中で終ってしまい、引返すのは悔しいので目先に見える灯台に向かって
薮扱きして進むが、薮が濃く大変だった。 なんでこんな所で藪扱き?
藪扱きから抜けると半地下式の ”トーチカ”があった。
”トーチカ”の中には入れるので、中に入って見るが、
現在では樹木が茂り窓からは見通しは悪かった。
”第1砲台跡”はきれいな状態で残っていた。
”第1砲台跡”から ”子午線広場”に出ると淡路島が近かった。 肉眼でも沼島は薄っすらとしか見えず、残念な天気だ。
明石からの子午線がここを通っているらしいが、当然、子午線を見ることは出来ない。
”子午線広場”から海岸線を見る。 経験上、櫛形の岩が並ぶ海には
アワビは少なくサザエが多く採れる。 潜ってみたい。
同じく ”子午線広場”から見た海岸線。 加太の港にも連絡線の中にも
サザエ、アワビの密漁禁止が大きく書かれていた。 何で庶民の遊びを
密漁と呼ぶのか、密漁と呼ばれるのでもう海には戻りたくない。
遠回りしたので1時間以上掛かって ”コウノ巣山”(120m)に着く。
かつては軍需用に設けられた広い道を山頂に向かう。
いっちょ前に ”一等三角点”が設置してあった。
”一等三角点”は日本全国に974箇所あり、これを追っかける愛好家も居るが、連絡船の出ていない離島にも三角点があるので全ヶ所走破するのは大変なのだろう。
山頂は公園となっており、広場と展望台があった。
展望台からこれから向かう ”虎島”を見るとすごく遠い、しかも密生し
た樹林帯の中を歩いて行く様なので、止めようかなーとも思ってしまった。
最大規模だと言う ”第3砲台跡”に着く。
円形に砲台があったのであろうか、説明版が無く詳細は判らない。
レンガ積みが見事な ”第3砲台跡”の内部。
窓は蓋されていて中は真っ暗だった。
”第3砲台跡”を抜けて行くとアキバ系コスプレの写真を撮っていた。
どうせならヌード写真にして欲しかった。笑)
これは将校クラスの宿舎らしいが、将校でこの程度なら一兵卒は
どこで寝泊りして居たのだろうか? まさかテントでは。
遊歩道には通称 ”パイナップル”が沢山落ちていた。
これはリスがマツボックリの種を食べた残りかすであり、
それを知っている人は少ないと思う。
”虎島”へはこの様な樹林に覆われた展望の利かない道が延々と続く。
樹種は普段、山で見る物ではなく、亜熱帯的な感じがした。
緩やかに上り下りを繰り返して行くと ”深蛇池”の分岐があったが、
100mを往復する必要があったので池に行くのは割愛した。
”沖ノ島”の西端から見た ”虎島”とその奥に ”地ノ島”。
ここから見る限り、潮位的には問題なく ”虎島”には渡れそうだ。
沖ノ島西端から見た海岸線。 水の透明度が高く、潜ってみてー
大潮で潮位が高く波があると渡れないと言う地続きの磯を
歩いて行くが道は無く、岩から岩に飛び移って行く。
一面、キバナコスモスに似た花が咲いていた。
見付け難いが ”虎島山頂”への道はしっかりと付いていた。
密林の斜面をジグザグに登って行くと ”虎島砲台跡”があった。
”虎島の西端”、和歌山側に出ると偉そうなおっさんが座っていた。
山頂には珍しく道標があった。
標高49mの 虎島山頂”は ”鉄山”と言うのか?。
もう一つの行場はクラックの無い一枚岩でフリーでは無理なのかピンが沢山打たれており、長いロープも置いてあった。 下まで降りる手立てが判らず、下まで降りれたら登りたいと思うだろうが、ここを下りたいとは思わない。 設置してあるロープで下ってから登るのかも知れない。
今回の目的地である ”行場”に来ることが出来た。 発端は'06年に山上ヶ岳に
登って ”行場”を調べていると、友ヶ島の行場が出て来て是非一度は行ってみた
いと思っていた。 この岩場はクラックが多くフリーでも登れそうな感じがした。
横から見ると45°程度だろうか。 和気アルプスの藤本さん開拓のアルペン
ハイキングルートと変わらない感じがするので、その気になれば登れるのだろう。
誰かが登れるのであれば俺にも登れると思いながら今日は止めておく。
”地ノ島”との海峡は流れが速く渦を巻いていた。
格好の漁場なのだろうか、朝は多くの釣り船が集まっていた。
潮が満ちてこない内に ”沖の島”に引返すが、
潮が満ちても問題無く渡れる様な気がした。
こんな所でカニを捕まえたりして磯遊びをしたいものであるが、13時半の船で帰りたいので先を急ぐ。13時半の船に乗り遅れると15時半まで船がないのだ。
急ぎ足で歩いたので野奈浦桟橋に余裕で着き、売店で冷たいお茶を
買って一息付く。 桟橋下には沢山のクラゲが優雅に泳いでいた。
13時半出航の連絡線に乗り、先ほど渡った地続き磯を見る。
”虎島”の行場を間近で見ることが出来た。
釣り船の多い海峡なのでここだけゆっくり航行するので有り難かった。
こうのすやま