西穂高岳 (2,909m)
1969年05月04日
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標高差:1,410m

Road Map :高山市から釜トンネルを抜けて、小梨平のキャンプ場に入る。
Route Map:小梨平のキャンプ場から05/02:焼岳、05/04:西穂高岳をピストンする。
その他の山   ハイキングのつもりであったが、余りにも危険な行動だった。
当時、山登りなんてしたくも無かった。社会人になり車を買ったのでドライブをしたい年頃だった。
同級生と上高地にキャンプをしに行くことになった。当時、上高地には自家用車で入ることが出来て、
小梨平のキャンプ場に車で乗り付けることが出来た。車の横にテントを張ることが出来たので荷物を
運ぶ必要はまったくなかった。キャンプをしていてその内退屈になり目の前の焼岳に登ってみることに
した。山登りの趣味はなかったので、山装備はまったく持っておらず、運動靴での山歩きとなった。
登山コース、登り時間、下り時間等のデータは残していない。
G・W休暇を利用して上高地の小梨平キャンプ場で3泊のキャンプをする。今では持参テントでも700円/泊の有料であるが、当時、テント泊は無料だった。古き良き時代だった。桂川の清い水で歯を磨く。
食事の後の皿洗いも桂川で行なう。これが環境破壊に繋がったのか。
(元は白黒写真なのにパソコンソフトでの疑似カラー化の出来に驚く)
朝飯の後はまったりと寛ぐ。
当時のテントはテント生地の重い物であったが、直ぐ近くまで車が乗り入れられたので荷物を運ぶ負担は皆無に近かった。G・W中なのに、今ほどの観光客は来ていない。焚き火で飯を炊く。
2日前の5/2に登った”焼岳”を見る。手前は河童橋。焼岳往復では噴煙地で昼寝する余裕もあった。
河童橋を右岸に渡り、沢沿いの穏やかな道を田代端まで進み、そこから樹林帯に入って行く。Gパンに運動靴、スパッツ、アイゼン、ピッケル、ストックの類いは持っていないし、何に使うのかも判らない。
標高2,358mの西穂山荘に向けて登っているとの自覚はまったく無い。登らなければ西穂高に行けないとの事だけだ。それにしても急登だった。
運動靴なので斜度が増して来ると良く滑る。それを笑いのネタに出来る程の元気があった。
何時間掛かったのであろうか。”西穂山荘”に着き休憩する。
”西穂山荘”は1階部が雪で埋まっていた。雪山に登って展望を確認する。
”丸山”への登り途中から振り返り”西穂山荘”と一昨日に登った”焼岳”を見る。
同じく”丸山”への登り途中から”独標”とピラミッドピーク”を見る。
登山道には雪が乗っていない様に見えたが、それは甘い考えだった。
”独標”から先はど素人が踏み込む道では無いと思うが、何の躊躇も無く、どんどん登って行く。
西穂独標”(2,701m)に登り着いて一息入れる。こんなに標高の高い山に登るのは生まれて初めてである。ただただ展望の凄さに感激する。
何時間掛かったのか不明であるが”西穂高岳”(2,909m)に着く。一番残念だったのが西穂高の標高が3千mに達していなかったことである。我々の格好を見て山頂に居たヤマラーから”お前ら死ぬ気か!”と怒られた。
登山道に残雪が乗っていると流石に恐くなってくるが、西穂は目の前なので、ステップを確保しながら登ってしまう。
下山して行くと、途中のコルからシリセードで下って行く連中が見えた。何時間も掛けて登って来たのに何時間も掛けて下山するのがしんどい。との思いから我々もシリセードで滑り下りることにした。ピッケルを持たないのにこれが無謀な行為だとは後から知る。
Gパンのまま滑って行くのでズボンはビチャビチャになる。でもこれは止められない楽しさだった。
たまに氷の塊が出て来て尾てい骨を打つが、そんなのはお構いなしで最後まで滑りおりる。30分程で梓川に着いたとの記憶がある。無事で何より。
白黒写真、しかもレタッチも出来ない頃のパノラマ写真。 今なら繋ぎ目がばれない程に繋ぐことが出来るが、当時はこれが精一杯だった。
('16年12月に画像ソフトにより疑似カラー化するが、ベースが悪いのでこの程度の出来
こちらは”焼岳”から見た時の穂高三山。山の姿は今も変わらない。当時、こんな山に登るとは考えもしなかった。
上高地で偶然、会社の山岳部の連中と出会うことが出来た。俺を騙して”六甲全縦走”に連れ出した連中であるが、完走したのは俺一人で山岳部の連中は途中で下山して三宮でマージャンをしていたらしい。
(この写真のみ山岳部から貰ったカラー写真)
天国だった上高地
釜トンネルは素掘りで灯りも無かったので車で通り抜けるのが恐かったが、上高地に入ってしまうと、この世とは思えない天国だった。初めて目にする穂高岳はとても登れる山には見えなかった。
無防備過ぎた
元々、キャンプをするだけに入った上高地なので山登りの装備は何も持っていなかった。残雪の西穂高岳に登った感想は最低でも登山靴、スパッツ、アイゼンは必要だった。無事に帰れたのは単に運が良かっただけかも。
カラーフィルムは高価な時代だった
折角、上高地にいくのだからカラーフイルムは欲しい所であったが、車のローンに終われている若僧にはカラーフイルムは買えなかったし、現像代も高かった。'67年に西表島に行った時には海の写真をカラーで撮りたかったので、高校生の分際でカラーフイルムを大量に持っていったが、それはそれで正解だったのだが、山の写真はそれ程カラーに拘る気にはならなかった。
長野県松本市
05/04:西穂高岳に向う。
05/02 05/03  05/04
焼岳  横尾  西穂高岳
にしほだかだけ