「悲母観音」
入仏式
 平成30年4月22日さくら祭り



 
 写真上 悲母漢音
 写真左 入仏式
      (伊東康雄氏提供)
 写真右下 大悲閣

右手の宝瓶を静かに傾けると、新たな命の霊水が、
みどり児
(ご)に注がれる。
 観音菩薩の眼差しは永遠の慈愛にあふれ、
おおらかに温かくほほえんでおられます。
円光の中で霊水を受けようとするみどり児は、
安心しきった喜びのひとみで、一心に菩薩を見上げています。
 清浄無垢な魂そのものの姿です。
 菩薩は、宝冠を頭上にいただかれ、
 御身には、流れるような天衣
(てんえ)をまとい、
 天上に立たれています。
 左手の楊柳の誓願は、病苦からの救済です。
 
 こうして、母親の胎内に授かった命は、この世で様々な運命を生きていくことになるのですが、
どんな人生になっても、仏は我が子として、すべての命を、どこまでも見守っていきます。
 父母のご縁の元に誕生し、命をいただくという、誠に奇跡的で不思議なできごと。
そうして生まれて、今ここに、育ち、生きている。その事実に、ほとんど何の驚きも持たず、
 当たり前のこととして過ごしているとすれば、
 あなたは、極めて大切な何かを見過ごしている‥‥と悲母観音様が語りかけます。


 年たけて また越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜
(さよ)の中山
   〈年老いてから、この山をまた超えることができると思ったか、いや思はなかった。
    これも命があるからだなぁ、小夜の中山よ。〉
(西行法師)

 命そのもの、あるいはそれを魂魄
(こんぱく=たましい)と呼び変えてもいいが、
    それは結末もなく無限の時間を生き続ける。
(ダライ・ラマ)

  法華経を詠む
 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり

  本来の面目〈真実の自己〉
 峯の色 渓
(たに)の響きも みなながら 我が釈迦牟尼の 声と姿と (道元禅師)

しあわせ祈岩 帯石の「悲母観音」について