「点火輪の譬え 飛んでいる矢は止まっている」
           師匠でである私の父が、法事に行くと、時に、点火輪の譬えを話していた。
           線香に火を付けてぐるぐる廻しながら、
           「輪があるように見えるだけで、実際は、火の点があるだけだ、輪はない。」
           人生もそういうものだという教えである。  

               ギリシャの昔には「飛んでいる矢は止まっている」とかいう議論がある。
           確かに高速カメラで撮れば矢は止まっている。空間が無ければ矢は存在できない。
           一瞬、一瞬存在しては消え、存在し、飛んでいるように見えるだけだ!?
           という議論である。
           「今今と今という間に今はなく今という間に今ぞ過ぎゆく。」という道歌がある。
           明治生まれの母が書き残して、私も何となく口にする。
       
           以上の話は心経の「色即是空」を思い起こさせる。
           「色」とは物質である。広大な物質は宇宙であるが、物質のもっとも小さい状態は
           原子を構成する「量子」である。「量子」は客観的な物ではなく、観察する人によっ
           て粒となったり、同時に波になったりするという。10億分の1メートルの世界である。
           我々は古典的な物理学の世界に生きているから、「今はあるのに無い」ということが
           なかなか理解できない。新しい物理学の「量子論」では、「光りは、粒でもあり量でも
           あるという不思議な二重性を示すことが分かってきた。」ということで、点だけども量だ
           というありようで、よく分からないが、世界は心が決めるということと、繋がるそうだ。
           点火輪の譬え等と重なる。「量子論と仏教」との関わりにも関心が持たれているのだ。

           「天動説」を皆が信じていた時代があったが、どうしても説明できない現象があって、
           地動説という真実にたどりついた。
           「今はあるのに無い」、無いと言っても、日々苦しんだり悩んだりする、
           これはどう説明したらよいのでしょうか?   
              (「『量子論』を楽しむ本」 佐藤勝彦、「量子論と仏教」 後藤 蔚 等)